あの女がますます老いて帰ってきた。


by mucky55

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栃木顔


山口県出身のロンブー淳のようなカオは、典型的な 長州顔 なんだって。
確かに吉田松陰や高杉晋作系のカオだよね。


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先日オリンピックをみていて
競泳の萩野公介くんが誰かに似てるな~と思った。
オッサン君も「あ、俺も思った!」というので
お互いが思い描いた人を発表したら

オッサン君が 斎藤和義 で
私が U字工事の福田君 だった。

思ってた人は違うけど、確かにどっちにも似てる!
しかも



どっちも 【栃木出身】!

もしかして、長州顔みたいに、「栃木顔」ってのもあるのかも知れないと
萩野くんの出身地を調べてみたら



見事に【栃木】だった!!!



あるぞ! 栃木顔!


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by mucky55 | 2012-08-21 11:26 |
友人のKOちゃんのブログより転載します。
元は、KOちゃんのお友達の方が、ご自分のブログにある方の記事を丸ごと転載しました。


その記事を読んで同じくすぐシェアしたKOちゃんのコメントです。

「この記事を読んだら、オイラも同じことをしたくなりました。
自分の言いたいすっごく大きいことを、ザクッとまとめてくださったかんじだったのです。
だから、オイラもまるっと転載です。
ちょっと長いですが、是非読んでください。
放射能瓦礫拡散、絆、風評被害などが、総括できます。」



私も同じ気持ちです。
言いたくてうまく文章に出来なかったことや
モヤもやっとしていたことを、代弁してもらった気持ち。
読みながら涙が止まらなかった。
もう311以前には絶対戻れないのだと絶望もしたけど
このままでもいられないんだと改めて感じた。


とっても長い文章です。
だけど、ホントに、ぜひ、読んでください。


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<↓ 元ブログ>
【うさんぽの小径】
http://ameblo.jp/usanpo117/entry-11322945202.html
「再 なぜ放射能汚染された瓦礫を全国にばら撒く必要があるのでしょう?」

※ これは2011.10に出した記事を再投稿したものです。



なぜ放射能汚染された瓦礫を全国にばら撒く必要があるのでしょう?

放射能汚染された瓦礫の受け入れを拒否すると、なぜ卑怯とか情けないとか
言われるのでしょう?

難しい問題だけど、反感買うのを承知でひとつの意見を出します。

わたしは、ボタンのかけ間違えひとつで、
今のこの日本の状況になっているのだと思います。
つまり、最初の間違いさえ正すことができていたら、
今のこの世論とは真逆のことが正論になっていたはずだと思うのです。

「なぜ、汚染された物を福島から外へ出すのか?」  ・・・と。


一番悪いのは政府です。 最初の政府の対応なのです。
これをまず一番最初に押さえておく必要があると思います。
そして、
政府の対応が間違っていたとすれば、どこが間違っていて、 どうすべきだったのか?
それを、もういちど、原点に帰って考え直す必要があると思います。

その答えをわたしは、小出浩章氏 の言葉に求めます。
わたしは小出氏の見解を信じます。

そうすると、彼が言うには、
チェルノブイリの教訓からいって、
最低でも福島全域は「放射線管理区域」(人が勝手に出入りできない区域)に指定し、
そこには 人を住まわせてはいけない はずなのです。

ヒロシマ、ナガサキの経験からいっても、
あとからそこへ人を入れてはいけない はずなのです。
 (外部にも被爆者を広めることになる)

そして、放射線取扱者の常識からいっても、
放射線管理区域からは一切の汚染されたものを外へ持ち出してはいけない
はずなのです。
(それは、研究所などでの放射線の取り扱い法規も同じ)
そうしないと 無暗に放射能汚染と被曝被害を拡散させてしまう からです。

これまで、 原発事故が起こるまでは、そうやって「安全」を守ってきたんです。
それが放射能に携わる者としての常識だった。
なのに、事故が起きた途端、政府はすべてなかったことにしてしまった。

厳重な法規によって守られてきたはずの放射能被曝拡散の危険を
政府自らが禁をやぶって実行してしまった。

政府は、やってはいけないことをした。  
すでにその段階で犯罪行為だったんです。

本来、一研究員がそれをやったら処罰される犯罪です。
それを、政府自体が、平常時なら「犯罪」に値する行為をやっていた。

献金どころの騒ぎじゃない。
長い目で見たら、かれらは大量殺戮者です。

もし、
国民がこのこと自体を最初から断罪していたら・・・

全国民が 放射能被曝の苛酷さを正しく畏れる ことを知っていたら、
政府の犯した、その罪の大きさを知っていたら・・・
そして、もし、
「このままじゃいかん!」 と、
国民総意で なんとしても政府を動かして、
すぐにでも 全福島住民を避難 させ、そこを封鎖 していたら、
今とはまったく違った常識と見解になっていたはずだ と思います。

つまり、
今、福島(その他被爆汚染地域)に人が住んでいること、
「住まわせている」ことはもちろん、
そこへ自由に出入りできていること、
そこから汚染された物を持ち出すこと自体が間違っている! と
そういう意見になるはず・・・、いえ、なるべきだったのです。

ほんとうは、
汚染された福島から家畜も食物も一切外へ出してはいけなかったはずなんです。

政府が正しく放射能の危険を認識していたら、
最初に正しい対策をとっていたとすれば・・・
日本は、今とはまったく違った社会通念ができあがっていたはずなんです。

わたしはこう思うのです。
本来なら、あの初期の段階で菅元総理が うっかり 発言した
「数(十)年は帰れない…」 というのが本当だったと・・・。

あの発言が非難されたときは、
まだあれが「核爆発」ではなく「水素爆発」だと信じられていたからであって、
現実のシビアさを誰も知らされていなかったからであって、
まだ現実感も、ほんとうの危機感も誰も感じていなかったからであって、
発言の仕方の品位はともかく、
菅総理の言っていた内容自体は、あれがじつは唯一の真実 だったと思うのです。

菅総理も、
ほんとうは、どれだけ苛酷な現実なのか知っていたからあの言葉が出たんだと思います。

あれはあれで、「正しかった」のだと思います。

だからきっと心から 「浜岡原発を止めなければ」 と思ったんだと思うのです。
あの一点においては、
彼の判断は、発言は、じつは真摯であったと、今は思うのです。


小出氏の講演を事前に聞いてきた人たちなら、
あれがうっかりだろうと、不用意だろうと、少なくとも真実だということは分かっていたと思う。


実際あれは「水素爆発」なんかじゃなかったんですから。
実際には、スリーマイル島どころかチェルノブイリよりも大変なことだったんですから・・・

しかし、世論は、 いえ、マスコミは、
あの言動を叩き、「風評被害」被災者意識を最優先して取り下げさせてしまった。
わたしは、それ自体が間違っていたと思います。

あそこから狂ってしまったんだと、
あそこからもう戻れなくなってしまったんだと・・・ そう思うのです。

あのとき、マスコミ誘導に乗って国民が、世論が、あの言葉を
「被災者感情を逆なでする」などとヒステリックに受け止め、非難し、
「取り下げさせてしまったこと」がすべての過ちの始まりだった
・・・と思うのです。

あのとき、推進派にとって都合のいい方向に簡単に世論誘導できたのは、
あの時点ではほとんどの国民が、
被曝被害の現実を、内部被爆のほんとうの重大さ 苛酷さを 誰も知らなかったからです。

もう、二度と戻れない道だけど、あえて仮定の話をさせていただくと、

もし、あのとき、
「完全な収束までには、ともすれば何十年もかかるだろう。 
それまで、もうそこには誰も住めないだろう・・・」 という主旨の言葉を
そのまま真摯に受け止めていたとしたら・・・

もし、その前に、ヒロシマやチェルノブイリの正直な被害研究が
公明正大にすべての国民に知らされていたら、

「放射能被曝は直ちに影響は顕われなくても深刻な健康被害が出る」
=「すぐにそこから避難しなければ!(避難させなければ!)」

という現実を受け入れることを避けたりしないで、
その言葉のまま、その苛酷さを受け入れていたら、
 
そのように後の対策を取っていたら・・・、
きっと今頃、まったく違う世論になって
それがいずれ社会通念になっていたのではないでしょうか?

「今は何ともないけど、放射能被害とは、そんなに苛酷なものなのか?」
「それは大変だ! だったら、はやく全員逃げなければ!」
「ひとたび事故が起きたら、こんな大移動(大パニック)になるとは・・・」
「誰も知らない。誰もやったことがない。 誰も指示を出せないなんて・・・!!」

となるでしょうが、それでもきっと・・・

「とても困難なことだと思うが、とても上手く行くとは思えないが、
それでも放ってはおけないから、
全国民が協力して、今すぐできるだけのことをやらなければ・・・」
「せめて子供たちだけでも先に・・・」

と なったんじゃないですか?

そして、その後、

「こんな大変な現実が待っていたなんて知っていたら 誰も賛成なんてしなかったのに!」
「やっぱり日本に原発を作るのは間違っている」
「次の地震がきて次の原発事故が起きる前に、早く原発を止めなければ!」

・・・という流れになったはずでは?

けれど、それは起きなかった・・・

そのとんでもない大混乱=何十年も住めなくなる→今すぐ全員避難しなければ!
という、その決死の大移動は実行されなかった。
それだけの大パニックも起きなかった。

やるべきことをしなかったおかげで、
誰もそれを体験することはできなかった。
そのため、だれも、ほんとうの原発事故の苛酷さ を味わうことも見ることもできなかったのです。

そして、中途半端な現実感と、中途半端な安心感だけが残った・・・

「原発必要論」がなくなることはなく、「原発廃止論」とバランスを保っていくことになった。


結局、原発はなくならない。
核利用も、放射能廃棄物処理問題も解決されない・・・
放射能放出と被曝被害はまだ続いていくのに・・・

原発を持つ国のどの政府にも足りなかったこと、
それは、間違ってしまったことを「認める」という覚悟です。

原発を持つ国というものは、
原発を持ち続ける限り、
何度過ちを犯しても、何度甚大な被害を出しても、何も変わらないのです。
今までも、これからも・・・。

もし、
「住民の命と健康を守る」ために大きな犠牲(大移動パニック)という「的確な措置」を決断したとしても、
避難時の苦痛だけでなく、避難先のこれからの「現実」の大変さと混乱と精神的苦痛のため、
結局、政府は国民から、
想定の甘さ、対策のお粗末さ等で二重にも三重にも責められることになるでしょう。
だから、それを避けたかったのです。
なぜなら、
放射能被曝被害は、「直ちに」目に見えて分からないけど、
現実の大混乱避難パニックの苦痛は直ちに実感できます。

そして、その後の全国民を巻き込む避難生活のストレスは、
目に見えて原発事故の大変さを直ちに実感させるものだからです。

そして、最終的には、
「こんな全国を巻き込むような大変なことは二度と御免だ!」 = 「原発なんて要らない!」
ということになったと思うのです。

つまり、そういう流れになるのがまずいから、

そんな大混乱を招いてまで県民を避難させ、
政府対応の愚かさを露呈して、原発推進派の浅はかさを暴露して、
「安全神話崩壊どころの騒ぎじゃない!」 と国民に感じさせたくなかったから、
非難の矛先がすべて原発の存在そのものに向かうことを怖れたから、
ほんとうのシビアアクシデントを現実的に国民に実感させることを
絶対に避けたかったのだと思います。

ですから、政府は、その「最悪な想定」を避けるために
国民の命や健康や幸福な将来を犠牲にしてでも、
あの菅総理の「正直すぎた発言」は否定されなければならなかったのです。

「何十年なんて嘘ですよ~ すぐに片付きますから大丈夫ですよ」 と。


もちろんこれは推測ですが・・・

その避難時の大混乱ぶりは、考えるだけでも政府にとっては恐ろしかったでしょう。
だから、本当は分かっていたのに、それを避けたんです。

一度の原発事故でそんな思いをした国民が、原発続行を是とするわけがない・・・と思ったから。


だから、あえてあの言葉を取り下げ、
あれ以来、「被災者感情」を最優先し、風評被害の火消しに奔走し、
被災者及び、のちに被曝を共有することになる非被爆国民、
つまり全日本国民の健康と将来を犠牲にしてでも、
原発事故による被害のほんとうの苛酷さ を体感させないようにしたかった
のではないでしょうか?

「現実問題、全県民をあそこから一斉に避難させることなどあまりに困難であり、
到底不可能だった」

という声もあるでしょうが、
しかし、本気でやっていたら、半年もかかるでしょうか? 
3か月もかかるでしょうか?
少なくとも、今現在はすべて避難し終わっているはずですよね?

除染も、まめな線量の測定すらままならない行政の元で、
今なお発病の恐怖と不安の中で暮らしているなんてことはないはずですよね?

放射能瓦礫処理問題で、国民同士の関係がおかしくなることもなかったはずですよね?

マスコミのミスリードのもっとも問題な点は、
その人間関係をややこしく、おかしくさせていることです。

「被害を分かち合えないのは卑怯」だとか、「被災者感情を逆なでする」とか、
「同じ国民として情けない」とか、「
もっと被災者のことを考えるべき」とか・・・

国民が瓦礫に始まる「放射能汚染拡大」に反対しているのは、
政府がやるべきことをしていないからです。
政府がやってはいけないことをしているからです。

だから、それに反対しているだけです。

被災者をないがしろにしているのではなく、
政府が守ろうとしないものを守ろうとしているだけです。

非難されるべきは政府であって、政府対応であって、
それに反対する市民ではないはずです。

それをマスコミはミスリードして、国民同士をいがみ合わせているとしか思えません。

もう、事故は起こってしまったんです。
いくら国が面倒見てくれても、どんな補償があっても、
二度と元の生活には戻れないし、元の心地には戻れないし、
苦しいのも、辛いのも、傷つくのも、それはもう無くしようがないのだと思います。

それが原発事故だからです。

すべての人が、気持ちよく助けられることなんてないんです。
すべてが上手く行くことなんてあり得ないんです。

それが、普通の大震災とは違うことなんです。
普通の災害だって、すべての人が等しく救われたことなんてあるのでしょうか?

これは、放射能災害なのです。
これが、原発事故の現実なんだと思います。

原発は、それが存在しているだけで、
過去も現在も未来も、人々を不幸にするんです。

だれもだれも幸せになれない。
結局は、みんなみんな不幸になるシロモノだったんです。

福島原発で作った電気を関東の人が使っていたから、
福島の子供たちは関東の子供たちの犠牲になった・・・ とか言うけど、
では、福島の人たちは原発の恩恵を受けていろんな便宜を図ってもらっていて、
これからも特別に補償を受けられるんでしょうけど、
原発がなかった土地の人は、原発の恩恵も補償もこれまで受けていないのに、
恩恵を受けてきた県民と同じように、場所によってはそれ以上に、
放射能被害や風評被害で苦しむことになるんです・・・

もう、だれが良くて、だれが悪いだなんて、境界線がぐちゃぐちゃなんです。
誰が得をするだとか、誰が損をするだとか、そんな線引きもムチャクチャなんです。

そして、人間関係がおかしくなっていくんです。

そういう悲惨な現実、
その不条理、その一生解決されない感情的な不条理も全部含めて、
それすべてひっくるめて、
それが「原発事故」、「原発を持つ」という現実なのではないでしょうか?
だから、原発は、存在そのものが悪いんです。

自然を引き裂き、人を引き裂き、国を滅ぼし、地球を滅ぼします。


話を元に戻します。
もし、全国民が、チャルノブイリの真実を、放射能被曝の苛酷さを知っていたら、
「そこには住めない」 「そこには入れない」 「そこから出してはいけない」
という危機管理認識を全国民が認め、それを受け入れたんではないでしょうか?

そうしたら、今頃は、
「被曝した瓦礫を外へ出すなんてもっての外だ!」
「被害をこれ以上広めてどうする?」
「日本中が海外から風評被害に遭うぞ!」
と言うのではないでしょうか?
わたしは、それが正しいとおもうのですが・・・

京都の大文字焼きも、愛知県の花火大会も、
自分たちだけ助かりたいと思って・・・とか、
少しくらいの被曝も分かち合えないのか?  とか、
被災地の苦労を分かち合えないのか? とか・・・
それこそが、日本にとっての危険な思想 だと思うのですが・・・違いますか?

わたしは、
あのときの風評被害意識の方が、日本にとって危険な思想 だと感じました。



何もかも、
あの「言葉」を闇に葬ったことからすべてが狂ってしまったのだとわたしは思うのです。

もう、あの時点には戻れないけど、
もし、「何十年はかかる」という言葉の「真意」を国民が理解できていたら、
ボランティアは被災地で生活の面倒をみるのではなく、
避難誘導と避難先確保の方に尽力したはずです。

被災地のものを引き受けないからといって非難されることはなかったはずです。

あれほど小出氏らが警告していたのに、
一番チェルノブイリの現実を知っている真摯な人たちの言うことは無視され続け、
その事実を隠すために、「あれ」を否定したから、
結局、
チェルノブイリの経験も反省もまるで生かされなくなり、
まして、日本人として広島、長崎の経験すらなんの意味もないことになってしまったのです。

その経験と研究と教訓を生かさずして、かれらは一体なんのために訴え続けてきたのか?、
危険を冒して放射線管理区域へ何度も足を運び、
被爆実態を調べ、何十年もかけて内部被爆の研究をし、
原発の真実、原発事故の恐ろしさ苛酷さを身を粉にして訴えて続けてきたのは
何のためだったのか・・・?

その声は聞き届けられず、まったく生かされることもなく、
とうとう、チャルノブイリ以上の最悪の結果を招くことになったのです。

チェルノブイリよりも悲惨・・・それは、事故の起き方ではなく、事故後の対処の仕方がです。
実際に国が分裂して政府が交代し、現実的な無政府状態となった当時のチェルノブイリより
もっと酷い、もっとお粗末な行政です。
やり方がまずいとかいうレベルの問題ではないです。

長期的な緩慢な計画的大量殺戮といえるくらいのことをしている・・・

その政府の犯罪的ないい加減な処置のおかげで
そういう基本的な間違いの上に今の日本はあらゆる認識が広まっている。

だからややこしくなってしまったけど、これだけは間違っていると思うのです。

何度も言いますけど、
「苦しみ」は分かち合っても、「放射能汚染」は分かち合うべきではない、
してはいけないと思います。

だから、汚染された瓦礫を日本各所へ運ぶことが「復興」だとは思えないのです。

「風評被害」の心情だけを最優先できる場合と、
今回の放射能汚染問題は別として分けて考える必要があるのではないかと思います。

線引きが難しい問題ですが、
このまますべて「風評被害側」を擁護していると、
結局、
日本全土が、世界から見て「風評被害」を受けることになり、
経済孤立する危険もあると思います。

日本全土の信用を失うかもしれない・・・ 
という観点からいうと、
汚染物質はできるだけ一か所に固めて、
そこは半永久的に触らない(持ち出さない)土地にした方がベストだと思います。

それが、国を、国民を守るという観点からいって最も正当であると思います。

原発を維持するために、
その正当性が最初から「なかった」ことにされているだけなのです。

しかし、それによって生まれる苦痛は、「なかった」ことにはできません。
そこを政府が誤魔化しているから、
まだ原発があってもいいかと言う意見が通るのだと思います。

ほんとうにやるべきことをしていない・・・その理由は、
「まだ原発が必要だから」ということ他ありません。

福島(被爆地)に人が住んでいなければ、そこにだけ汚染物質を集めればいいはずです。
本来はそれがベストですが、実際にどこの国もやりません。 
できないのです。
原発が必要だと思っているから。
原発維持に不利になるような政策をしたくないから。
「大丈夫だ」と「安全だ」と言いたいから。
人の命よりも、人が生きる環境よりも、原発維持が大事だから。

原発を持つ国の政府はどこも、けっして本当のことは言いません。
そして、
ほんとうにやるべきことを一度もしてきませんでした。

被曝させた人は何としても守るけれど、
被曝した人、これから被曝させられる人のことは
けっして守りません。

何度事故を起こしても、それだけは永久に変わらないのです。

それが、「原発を持つ」 ということなんです。


原発を手放さないかぎり、
その体質はけっして変わりません。

だからわたしは言うのです。
原発はその存在そのものが 悪 だと。




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by mucky55 | 2012-08-10 19:34 | 震災


早朝ペソの散歩に行ったら、いきなり大型犬が襲って来てパニック。
公園の芝生でジジイが犬を放して遊ばせていたため。

「犬を放すな!お前んちの庭か!バカヤロウ!」

と言ったがへらへら笑って「○~戻っておいで」とか言って謝りもしない。

以前も河川敷を散歩していたら、犬が単独で歩いていて
ペソを見つけて突進して来た。
その時はオッサン君も一緒だったので 蹴散らしてくれたが
犬の後ろから軽トラに乗ったジジイがのろのろやって来た。

「犬はなしてんじゃねーよ!」とオッサン君が怒鳴ったが
やはり謝りもせず犬を乗せて走り去った。

今、一番常識がないのは60代以上のジジイだ。しかも田舎のジジイ。
横柄で、わがままで、一般常識が通用しない 。
「俺がいいんだからいいんだ」っていうジジイの多いこと多いこと。

亭主関白気取って、家では殿様気取りで
奥さんになんでもやってもらって年取った田舎のくそじじい!

早朝の公園は、犬の散歩ももちろんだが
ジョギングする老若男女がたくさんいる。
小さな子供たちが親と一緒にボール遊びをしていることもある。

そんなところで大型犬を放して遊ばせるのがどれだけ危険か
ジジイにはわからないらしい。
俺が放したいんだからいいんだ!とでも言うんだろう。

しかも、犬のフンを放置するのもジジイが多い。
放置されてるフンは大概大型犬のフンだ。

大型犬×ジジイは、ほんとにろくでもない。

襲ってくる犬からペソを守る為に
私はリードで手のひらをやけどしたぞ。クソ忌々しい。
あの犬もどうせなら私に噛み付いてくれれば良かった。
したっけその場で110番に電話してやったのに。





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by mucky55 | 2012-08-07 09:22 |